2008/01/07(Mon)
シャングリラの外国人妻
1992年2月、ブータン初訪問からすでに16年間、わかるようでちっともわからないこの国に振り回されてあっという間におばちゃんになった私。この16年間を例えてみれば、ブータンは恋しても恋しても本心がわからない彼、尽くしても尽くしてもナンバー2でしかない私・・・という感じ。
そんなブータンに長く暮していると、どうやら考え方もブータン的になるようだ。ずーっと前に「奥さんと家族、どっちが大切なの?」という激論のさなか、「そんなの、家族に決まってる。」とさらりと言った友人(日本人)のダンナ(ブータン人)。彼は非難ごうごうの中、こうも続けた。その心は「妻は取り替えられるが、家族は取り替えられない。」
私だってそのときは、なんて男だ〜!って思った一人なのだけど、今になってみるとそのブータン人ダンナの気持ちがよくわかる。そう、ダンナは取り替えられる。いつだって、思い立ったときに。でも、父や母は取り替えられない。祖父や祖母、おじやおばも、いとこ達だって取り替えられないのだ。(そうなると、逆を言えば配偶者は家族ではないわけだな、ブータンでは・・・とも思いつつ)やはり今は彼の言葉が胸をつく。『家族は取り替えられないけど、パートナーは取り替えられる』そうだ、その通り〜!
おかしな話ではあるが、そう思うと気持ちがスーッと軽くなって、スキップでもしたくなるのだ。「そう、だからくよくよせずに、楽しく生きようじゃないか、この山奥で。」って。ブータン人の配偶者に振り回されているであろう多国籍の皆さん、いつだって自分が決心さえすれば、あなたはブータンと縁が切れるのですよ、ふ・ふ・ふ。
2008/01/06(Sun)
戦士の休日
15県の上院議員が出揃い、当選者もだめだった人も、そして何より選挙管理委員長と委員会スタッフには、本当の週末がやってきた。特に選挙管理委員長ダショー・クンザンの険しかったお顔が、ちょっと柔らかな印象になっていることに驚いた。かなりのストレスがかかっていたんだろう、本当に険しいお顔でインタビューに答えられるときもピリピリした感じだったのが、ふんわり緩んだ感じ。まだまだあと5県残っているのだが、まずは素晴らしい船出だったというのが全体の評価のようで、このまま何事もなく静かに民主化に移行することを祈る日本人妻なのだった。
2008/01/05(Sat)
お金で買えないもの
お金で買えないものもあるのだということを、ブータン人にわかってもらうのはとっても難しい。特にここ数年、多くの情報に突然さらされているブータン人達には、この世界ではお金ですべてが手に入るように思えるようだ。情報というものに対しまったく免疫を持たなかったこの国の人々にとって、テレビで目にするものはすべて美しくそして正しい。私のようにすれた日本人と違って、ブータン人は「メーカーの言うことですからねー。」とか「目で見えるほどの美白効果があるクリームがそんなにこの世にあるものか。」なんてことは微塵も思わない。インターネットの情報はすべて正しく、テレビは地球上のどこかに存在する夢を映し出している。
かつて『桃源郷』とよばれたこの国が、ブラウン管の中のシャングリラに恋焦がれているという皮肉。
「お金も大切だけど、お金で買えないものもたくさんあるんだけどね〜。」という日本人妻のつぶやきは、「お金が好きでない人なんていない!」と叫ぶブータン人の声にかき消されていく。
「AOKIはすべてがある国で生まれ育ったからだよ。」ともいわれる。そうね、すべてあるけど大切なものはどんどん捨て去った国でね、といってみたところで今のこの人たちにはわからない。
うーん、でもね、でもね、と、それでも私は心の中で叫ぶのだ。
だって、この日本人は知っているんだもん!
お金では絶対に手に入らないもの、もっともっと素敵なものがこの世界にはあるってことを。
お金で買えないものがあるからこそ、私は今、ブータンで生きているのだから。
ね、ブータンの皆さん、どうして世界の人がこの国に惹かれるのかを考えてみたことがありますか。
2008/01/04(Fri)
シャングリラの終焉
昨年10月末に国内を騒がせたツーリスト狙いの泥棒団の判決が出たとBBSラジオが伝えた。ジョモラリ・トレック中のツーリスト・グループが狙われ、2つのグループが被害を受けた。7年という判決を受けたのはパロのサンキパン付近での事件のほうで、ドルの現金など約1000ドルをキャンプ地のテントから盗んだパロ出身の40代の男。いや実はこの辺りはツェントという地域で地元ブータン人も細心の注意を払って行き過ぎるちょっと危ない場所。べつに強盗団が巣くっている土地だからというわけでなく、とにかくツェントの人は気が短くて手が早くて荒っぽくて・・・と国中で有名なのだ。でまあ、この地域でこんな事件があったもんだから、ブータン人は「あ、やっぱり。」という反応。それはこの事件とは関係ないと思うんだけど・・・という私の意見のサポーターは誰もいない、というくらいツェントの人はおっかないことで有名なのだ。
さて、10月当日はもう一件とんでもない事件が同じジョモラリ・トレッキングのコースであるタンタンカでおこっている。こちらはツーリストが夕食のためちょっとテントを留守にした間に、テント数張りを切り裂いて、ドル現金約8000ドルとカメラ7台と双眼鏡やi-podなど、トレッキングシューズやダウンジャケットなどもごっそり根こそぎという被害で、国中のブータン人はもちろん第4代、5代国王陛下をも激怒させたという、ショッキングな事件だった。ふつう夕食は別に設けたダイニングテント付近で取るため、ツーリスト・グループの動きをどこからか見張っていたグループの反抗だといわれている。まったくもって情けない事件で、二人の王様のお耳にこの事件が届いたとき「警察も軍も犯人を見つけるまで帰ってこないように!」とおっしゃったらしい。まあそれくらい、お怒りだったということだろう。特に後者のグループはパスポートやカードなどの貴重品も盗まれていたので、ことは重大だった。ブータンでパスポートをなくすと、インド、バングラディッシュなどの限られた国籍以外の人は身動きがまったく取れなくなるのだ。翌日、パスポートなどは破られ捨てられているのが発見されたそうだ。当たり前だがブータン政府、非常にこの事件を恥じたようで外務省は急遽、特別のトラベルドキュメントを発行して、このグループのバンコクまでの移動をサポートした。
でも、トレッキングシューズやジャケットを盗まれて、10月末の寒空にサンダルであの道を下ったツーリストの気持ちを考えると、情けなくなってしまう。きっと世界最低の国ブータン、と感じたはずだ。この10月の事件は「シャングリラの終焉」を印象付ける出来事だったといっても過言ではない。もちろん、だからといってブータンがアジアの中で飛びぬけて安全な国だという事実は変わってはいないのだけど、この事件がブータンの持つイメージをいたく傷つけたことだけは確実だ。
2008/01/03(Thr)
ようやく出ましたが・・・
昨晩8時過ぎ、ようやくブータン・タイムズが店頭に並んだ。2日の朝から待っていた私としては「遅い〜!」と叫びたい気分。新聞っていうのはちゃんと出るべき日に出てこそ新聞っていうんだぞ〜!知ってるか〜い?!しかも、英語版のみでゾンカ版はいったいどこ〜?DSB書店に聞いてみたがデリバリーはなかったとのこと。え、版下を作っている現場は見たんですけどー。
ブータン・タイムズのトップは当選者達の喜びの写真。そしてその下には投票率42%という文字が躍っている。え?42%って、どういう数字、選管の公式発表は55%だったはず?、とブータン・タイムズのゲストコメンテーターのツェリン・ゲルツェンの記事を読んでみる。えーっと、それによると、(以下、記事の抜粋)「ブータンには投票可能な年齢になっている人が40万627人(この数値が全国の有権者数なのか15県の数なのか、彼は明記していない)。で、その中で有権者登録をいって受理された人が、269,337人(これは15県の有権者登録数であることは選管の発表からわかる)。でもって、31日には143,633人が投票所で投票をし、4,156人が郵便投票を行った。つまり投票日の31日に、実際に投票所に足を運んだ人は15県の有権者のうち、たったの42.77%だ!これでいいのか、ブータン!?」と彼は言いたいらしい。
しかし、である、彼が記事内に明記している数値からは42.77%って数字は出てこないのだ。彼が明記している逆算してみると、15県の有権者総数は34万5500人くらいなのかとも思われ、それに対して投票総数の147,789を使えば42.77%という数値が出てこなくもない。しかし、15県の有権者数のデータを記事内で明記しないでおいて42.77%という数値をヘッドラインで42%というブータン・タイムズ。有権者登録者数269,337分の投票者数147,789から投票率54.87%をはじき出し、それを55%という選管と、なんだかお上と瓦版屋の体質って古今東西いっしょなわけで、やれやれという感無きにしも非ずの広報・報道合戦である。
2008/01/02(Wed)
「ブータン・オブザーバー」選挙速報の号外を発刊
昨日一番驚いたこと、それは「ブータン・オブザーバー(BHUTAN OBSERVER)」が選挙速報特集の紙面を出していたことだ。週2回の発刊になると先年秋から宣伝しまくっていた「ブータン・タイムズ(bhutan times)」は、11月からという広告にもかかわらず、まだ実行していない。まあ、ここはブータン初の月刊誌と銘打って華々しく「Bhutan Now」なる雑誌を2006年に創刊したのだが、2号は未だ発刊されていないという過去があるので、その宣伝を信じる人なんかほとんどいない。人々も「あ、またBTのホラ話ね。」なんて反応だ。にもかかわらず「ブータン・オブザーバー」がさらりとやってのけてくれたのだ。やるじゃん、「ブータン・オブザーバー」。
しかもゾンカ版もしっかり同時に店頭に並べるとこなんて、しぶいねぇ。両言語が同時に店頭に並ばないって言うのはブータンではわりと普通のことで、加えて「週に1回の新聞だからちゃんと決まった日に出るんでしょう。」なんて考えているあなた、まだまだブータンのことご存じないですよ。あの、横綱クエンセルだって一日遅れの発刊なんて当たり前。新参入の二紙に限れば1日どころか2日遅れなんて事もあり、いったいどの日にどの新聞が出るんだったっけ?って、混乱することもしばしば。
昨年後半から特に記事の充実が目立った「ブータン・オブザーバー」、ここにきて水をあけられていた印象のある「ブータン・タイムズ」に、ようやく一矢報いたという印象。ブータン・タイムズは新聞会社と広告代理店の両方をもつがゆえ、華やかな印象はありはするものの、ちょっと上滑りな記事が目立ち、残念なことに地元の話題でなく、隣国インドやインターネットから拾った記事が多くて、どうなんだろうなーって思っていたところ。一方「ブータン・オブザーバー」は地味な印象ながら地元密着型の新聞という路線を創刊以来守っている。きちんと地道にやってきた成果がようやく花開いたという感じ、2008年最初の勝負は「ブータン・オブザーバー」に『座布団10枚!』ですな。
2008/01/01(Tue)
投票結果、正式発表
さて、総選挙。昨晩は驚くほどのスムーズさで開票速報が出たブータン上院選。最後の県のモンガルの結果が午後9時過ぎに電波に乗って、15県の結果すべてが出揃った。
正式発表は本日となるので、現在クエンセル・オンラインにて確認できるものは、あくまで非公式だそうだ。速報と公式発表で得票数などが動くのかどうか興味のあるところだ。
BBSも昨日は午前7時より生中継を実施。しかし投票所が一番盛り上がっただろう時間帯(午前11時〜)にはラジオ速報のみで、映像がないのは残念だった。(せっかくいい機材があるのにね。)
全国の得票数バランスを見ると、外国人が見聞きできるブータンは、実はほんの一部であることがよくわかる。日本人の知識の中のブータンは、たとえて言えばターキンの尻尾をみたいなものなのだ(ターキンの尻尾だけを見てあの動物の姿形はちょっと想像できないものね)。
当選者得票数は少ないほうから、トンサ1823票、ブムタン1965票、パロ2886票。得票数の多いほうから並べると、サムチ7996票、タシガン6450票、チラン6181票、チュカ6140票、ペマガツェル6100票となる。
首都を擁するティンプー県を含む残り5県の投票が行われるのは1月29日である。しかし今だ、ガサ県には立候補者がいない。
2007/12/31(Mon)
The Election for the National Council 2007 長い旅路の始まり
パロの投票所見学のため、昨晩からパロに泊り込んでやる気満々の私。朝7時半には宿屋を出発、真っ白に霜の降りたパロ谷を走る。人影を見かけるたびに「選挙ですか?」と声をかけたくなる。外国人の私のほうがうきうきと浮かれている。さて、ドプシャリの投票所には・・・あれれ?誰もいない。ま、まだ8時前だからね(投票時間は午前8時から午後4時まで)。昨日知り合った警察官のアナたちに「おはよう。寒いですね。」と挨拶。しばらく、周囲の写真など撮りながら待つことにする。
しかーし。。。
誰も来ない。午前8時を回っても、ひとっこひとり来やしないのだ。GOROはすでに飽きて、車内でもう一寝入り。えー、張り切ってやってきたのに〜。
待つこと1時間半、どうにも誰も来ないので、我が家でテレビを見ているであろう甥に電話。BBSがパロに中継車を出し生中継するときいていたので、何か放送してないかとたずねてみる。「えーっとパロはガンテパレスの下の学校で中継してるよ。」との返事。「でもアンティ、誰も投票には来てないけど。キャスターだけが投票所の前でしゃべってる。」
うーむ、どうしてだ。この寒さのせいかな?予想されたようにやっぱり関心が低いのか?陽がもっと高くなれば人が増えるのか?でも、好奇心の強いブータン人のこと、テレビの生中継を見てやってくる有権者が必ずいるはず!と閃き、GOROをたたき起こしてBBSが生中継中のタジュ投票所に急いで移動する。
と、ほーらやっぱり、坂道をゆっくりと登ってくる人々の列。やっと、投票を終えた有権者を見ることができた。投票した人には「I Voted in the Election for the National Council 2007」という缶バッチが配られるようで、どの人の胸にもそのバッチが誇らしげに光っている。ゆっくりと陽が高くなって、谷全体にお日様が当たり始めた。さあ、ドプシャリの投票所にとってかえしてみよう。きっと、有権者登録カードを握り締めてドマを噛んでいるアパやアマに会えるに違いないから。
ブータンはこの晴天の日に、長い旅路の第一歩を歩みだした。タシデレ!
2007/12/30(Sun)
民主化への道のり
さて、ツェリンGORO運転のスズキ・マルチでパロにやってきた。もちろん、ブータンの歴史はじまって以来の上院選挙の様子を見学するため。デジカメ、ビデオカメラ、バッテリー、充電器、ノートとペンと、まるで取材気分。やる気満々の私なのである。
まずは下調べのため、おそらく一番投票者の多いと思われるドゥンツェ・ラカン近くのドゥプシャリ投票所へ。投票所前には4人の候補者のポスターが貼ってある。そして、明日の準備のためか、何人かの人が出入りしている。出口付近には制服の警官達のすがたもあり、銃を背負っているのは婦警さんだ。その顔立ちから東の人とわかったので、シャーチョッパで話しかけてみると、やはりタシガン県出身の人だ。明日は選挙権のない私はファンスの中には入れないことを教えてくれる。でも、フェンスの外からなら写真をとってもかまわないとのこと。警備担当の人たちの記念撮影をして「じゃあ、明日ね〜、アナ。」とお別れする。
ブータン民主化への道のり第一歩。パキスタンでは、ブット女史暗殺という不幸な事件が起こったばかり。なにごともなく、投票が終了することを祈らずにはおれない。
2007/12/29(Sat)
シンプルな真実
「どうして殺さなくてはいけないのだ?」友人が真剣なまなざしで私に聞く。
「ブットさんに生きていられては困る人がいるからだよ。」
彼はなおも食い下がる。「殺すことはない。誰であれ人の命を奪ってはいけない。」
「でも、あの勇敢な人を黙らせるためには殺すしかなかったんだよ。」
「何を言っているんだ。人間は、人間を殺してはいけないんだよ。」
「でも、彼女を邪魔だと思う人がいたんだよ。」
「AOKI!何を言っているんだ、おかしいぞ。人はどんな理由があっても人の命をとってはいけないんだぞ。君は、そんなこともわからないのか?!」
そんなことはわかっているが、そんなことも、この世では起こるものだと思い込んでいる日本人と、
どんな理由があろうと、絶対に人の命を奪ってはいけないのだと確信しているブータン人とは、
まったく別の惑星に生きる異なる種族のようだった。
増え続ける野良犬でさえ『殺さないという選択』。それは、野良犬を捕獲し、動物愛護センターという麗しい名前の施設で、あたりまえに焼却処分してしまう国で育った日本人には、眩しすぎるのだった。
でも、そのシンプルな確信からすべてを創めてみたら、この世界はきっと、もっと幸せで暖かい場所になるのかもしれない。